1-1 学校に行けなくなった日のことを、今なら話せます

1-1 1:不登校が始まった頃のこと

はじめに:「ある日、教室に入れなくなった」

中学1年の夏休みが終わってすぐのことでした。
朝起きて、制服を着て、玄関まで行ったのに——そのまま、動けなくなってしまったんです。

「行かなきゃ」とは思っているのに、どうしても足が前に出ない。
僕自身も、なぜそうなったのか分かりませんでした。

学級委員のボイコット


私が進学したのは公立の中学校でしたが、いろいろなことにチャレンジしようと考え、中学一年生で学級委員長になりました。

 ですが、当時のクラスはいわゆる”荒れているクラス”と言われるような雰囲気だったのです。

顧問の先生の、「学級委員は責任のある仕事だから、頑張るように」

という言葉に応えようとなんとかクラスをまとめようとしましたが、注意を聞かず騒ぎ続けるクラスメイト、連帯責任で先生に怒鳴られることが日常になり、眠れなくなる日も多くなりました。

担任の先生と合わなかった

正直に言うと、担任の先生がすごく苦手でした。
悪い人ではなかったと思います。でも、言い方がキツかったり、空気を読まずにズケズケ踏み込んでくる感じがあって…。

そんな先生に、相談したいことがあっても言えなかった。
「この先生には話しても意味がない」って、どこかで思っていたんです。

親の反応と、そのとき僕が思っていたこと

日に日に疲れが溜まっていく私を見た両親は時々心配の言葉を投げかけてくれましたが、
学級委員の責任感や

でも母はある日、静かに「しばらく休もうか」と言ってくれました。
泣きそうになるほど、ホッとしたのを覚えています。

“理解してくれる人が一人いる”だけで、心の重さが全然違うんです。

「学校に行けない自分」に気づいた瞬間

“不登校になってしまった”という自覚が出てきたのは1週間くらい経ってからです。
最初の1日は「お腹が痛い」と言って休みました。
でも次の日も、またその次の日も、行けませんでした。

「あ、自分…もう“普通”には戻れないかもしれない」って。
そのときは、すごく怖かったです。

まとめ

今振り返れば、母のあの言葉に救われた部分が大きかったと思います。
不登校という経験は、決して楽しいものではなかったけれど、
その中で少しずつ「自分らしさ」や「安心できる人間関係」を探す旅が始まった気がします。

子どもが学校に行けなくなったとき、すぐに“原因”を知ろうとしないであげてください。
本人も、きっと理由がわからなくて困っているんです。

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