1-4「無理しなくていいよ」は魔法の言葉だった

1-3 1:不登校が始まった頃のこと

はじめに:「がんばれ」と言われるのがつらかった

不登校になってしばらくの間、
家で過ごしていると、何もしていない自分が情けなく感じることがありました。

親に「がんばれ」と言われるのがこわくて、
逆に言われなかったら言われなかったで、「心配されてないのかな」と不安になる。

何をどう言ってもらえたら安心できるのか、自分でもよく分からない
そんな混乱の中で、母の何気ない一言が、僕を救ってくれました。


ある日言われた「無理しなくていいよ」

朝、なかなか起きられなかった日。
テレビを見ながらボーッとしていた僕に、母が言ったんです。

「今日はゆっくりしていいよ。無理しなくていいからね」

その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた何かがふっと緩みました。
それまで「早く元気にならなきゃ」「学校に戻らなきゃ」と思っていた気持ちが、
「今のままでもいいんだ」と思えるようになったんです。


「がんばらなくていい」と言われたことが、心の栄養になった

「がんばれ」と言われると、今の自分は足りていないんだ、と感じてしまいます。
でも「無理しなくていい」と言われると、**“今の自分を受け入れてくれてる”**と感じることができる。

僕にとって、それはものすごく大きな違いでした。

親にそう言ってもらえるだけで、「少し動いてみようかな」「外に出てみようかな」と思えるようになる。
無理に押されるより、そっと背中を預けられるような言葉だったんです。


声をかけずに“そばにいてくれる”ことの安心感

母は、無理に「話して」とも「出かけよう」とも言いませんでした。
それでも、毎日同じ部屋にいて、洗濯をして、ごはんを作って、
何気ない会話をしてくれることで、「一人じゃない」と思えました。

特別な言葉やアドバイスよりも、日常の中でそっと支えてくれる存在感が、僕には心地よかったです。


「がんばらなくていいけど、応援してるよ」という距離感

思春期って、素直になれないですよね。
親にいろいろ言われると反発したくなるし、
逆に何も言われないと寂しくなる。

そんな中で、「無理しなくていいよ」「でも応援してるからね」という言葉は、
ちょうどいい距離感を感じられるものでした。

「あなたのこと、ちゃんと見てるよ。でも、あなたのペースを大事にしてるよ」
そんなメッセージを受け取れた気がします。


不安が強い時期は、どんな言葉も重く感じた

正直、どんな言葉も重荷になる時期もありました。
「大丈夫?」と聞かれるだけでも、「ちゃんとしなきゃ」と思ってしまう。

でも「無理しなくていいよ」は、唯一、心に負担がかからない言葉だったように思います。
押し付けでもアドバイスでもなく、“許可”のようなニュアンス。

「今のあなたで大丈夫だよ」と言ってもらえるような、やわらかさがありました。


おわりに:「無理しなくていいよ」は魔法の言葉だった

不登校の時期、僕は「何もできない自分」に自信をなくしていました。
でも、そんな時に母がかけてくれた「無理しなくていいよ」という言葉が、
僕にとっての安心の土台になったことは間違いありません。

あの言葉がなければ、僕はもっと長く、自分を責め続けていたと思います。

もし今、不登校のお子さんにどんな声をかけていいか悩んでいたら、
無理にアドバイスしたり、元気づけたりしなくても大丈夫です。

「無理しなくていいよ」
その一言が、きっとお子さんの心にそっと届くと思います。

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